明治維新~日清戦争前(明治元年~明治25年/1868~1892)
作詞 不詳
作曲 不詳
北氷洋の探検と
アフリカ内部の探検は
かつて聞きつる事なるが
三千八百有余里の
長き行路をただ一人
馬に乗り乗り苦を凌ぎ
ドイツを出でて遥々と
ロシアの都に打ち向かい
モスクワ森を経歴し
ウラルの峰を打ち越えて
シベリア内部の各地より
またもアルタイ山を越え
蒙古に入り行き行きて
義爾古科(?)に辿り出で
ウラジオストック港より
道を転じて西の方
満州領に進み入り
吉林盛京打ち過ぎて
山海開より支那を経て
帰朝せらるる雄々しきよ
そもそも旅立ちのその原因は
二十四年の五月もて
帰朝の途次はかくせよと
参謀本部の命を受け
さてこそここに及びたれ
さてこそここに及びたれ
かく大任を得れしは
君が体躯の健やかと
士気の猛きと各国の
言葉と通じ給えるに
因る事ぞと知れける
これや少佐が身と家の
栄えのをならで帝国の
軍隊間の誉れなり
実に帝国の誉れなり
実に帝国の誉れなり
作曲 不詳
北氷洋の探検と
アフリカ内部の探検は
かつて聞きつる事なるが
三千八百有余里の
長き行路をただ一人
馬に乗り乗り苦を凌ぎ
ドイツを出でて遥々と
ロシアの都に打ち向かい
モスクワ森を経歴し
ウラルの峰を打ち越えて
シベリア内部の各地より
またもアルタイ山を越え
蒙古に入り行き行きて
義爾古科(?)に辿り出で
ウラジオストック港より
道を転じて西の方
満州領に進み入り
吉林盛京打ち過ぎて
山海開より支那を経て
帰朝せらるる雄々しきよ
そもそも旅立ちのその原因は
二十四年の五月もて
帰朝の途次はかくせよと
参謀本部の命を受け
さてこそここに及びたれ
さてこそここに及びたれ
かく大任を得れしは
君が体躯の健やかと
士気の猛きと各国の
言葉と通じ給えるに
因る事ぞと知れける
これや少佐が身と家の
栄えのをならで帝国の
軍隊間の誉れなり
実に帝国の誉れなり
実に帝国の誉れなり
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